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本邦初の金融サービステック企業「モニクル」ができるまで【2021年-後編-】原田慎司CEOに聞いてみた|特集|モニクルプラス

作成者: モニクルプラス編集部|2023.11.24

本社を大手町から赤坂見附に移転

前回は2021年のワンマイルパートナーズが展開するマネイロについてお話をお伺いしました。今回はどんなお話をいただけますか。

2021年は前回お話ししたように、各サービス面でも色々な取り組みをしていましたが、会社としてもいろいろと動きがありました。

それまでは、大手町ビルにあるFINOLAB(フィノラボ)に入居していましたが、2021年3月には本社を赤坂見附に移転しました。我々は、FINOLABが立ち上がった当初からナビゲータープラットフォームとして入居させていただいていました。FINOLAB全体でも3番目の参画だったので、私たちも愛着があり、FINOLABの運営者の皆様には本当に良くしていただきました。

ただ、当時ナビゲータープラットフォームやワンマイルパートナーズのメンバーはリモートワーク中心でしたが、会社の規模が大きくなるにつれて、管理部門のメンバーがオフィスで業務を行う必要性が出てきました。管理部門のメンバーを増やしていく計画を立てたので、思い切って広い場所が確保できる物件を探して移転することになりました。

管理部を増員するというのは、何かきっかけがあったのでしょうか。

2020年11月に現在CAOを務める髙橋が管理部長として入社して、それまで私がほとんど担っていた経理や総務の作業を、驚くほどのスピードで巻き取ってくれました。

髙橋は北海道出身で、札幌の上場企業で役員を務めた経験もある人材です。髙橋は非常にスピード感があり、当社への入社が決まってからすぐに東京に引っ越してきました。また、すごく馬力のある人間で、FINOLABでいつも黙々と仕事をしていた姿を今でも覚えています。

2021年は髙橋が中心となって管理部のメンバーの採用を進めていました。

髙橋は一人で何でもできてしまうのですが、いつまでも全部を髙橋にまかせっきりでは、髙橋の能力が最大限発揮できなくなるので、経理担当、総務担当の採用を進めていました。2021年9月には経理担当が、11月には総務担当が入社し、管理部も組織になっていきました。

 

引っ越しは大変な作業ですよね。

はい。物件探しにはじまり、契約手続き、工事の調整なども含め、いつもしんどいですね。

ただ、当社の瓜田(CBDOの瓜田雅和)がいつもきっちり引っ越しプロジェクトを進行してくれるので助かっています。

瓜田は、工事業者の手配だけではなく配線、資材・物品調達なども自分でやり切ってしまうので、社内では「瓜田工務店」とも呼ぶ人もいます(笑)。

瓜田がいつも最安値を調べてくれるので、会社では節約できるものは節約しています。新オフィスで使用するオフィスのテーブルは瓜田がアマゾンで購入したものを、瓜田が持ってきた電動ドライバーでみんなで組み立てました。ちなみに当時のテーブルは、現在でも役員室で使用しています。

 

コロナ禍でもマネイロの拠点拡大を実行、大阪梅田店を開設

他に会社としての動きはあったのでしょうか。

本社機能の移転についてお話をしましたが、マネイロでも動きがありました。

2020年10月には大阪に出向いて物件探しを始めていました。そして、半年後の2021年4月にはマネイロの丸の内本店に続いて大阪梅田店を出店しました。

2020年といえばご承知の通り、まだコロナ禍初期で社会的にも混乱期でした。ただ、関西で優秀な人材が採用できる状況でしたので、採用や営業拠点として出店することにしました。

2020年から21年にかけては、店舗での接客は当分難しいだろうとは思っていました。ただ、当時の大阪梅田店(現在のマネイロカスタマーセンター)は大阪駅・梅田駅の近くにあり、非常にアクセスのよい物件でした。コロナ禍が終わればこうした良い物件は簡単には借りられないと思うので、今振り返ってもタイミング良く借りられたなと思います。

店舗の出店も大変ですよね。

はい、かなり大変です。

ですが、「瓜田工務店」のおかげもあり、大阪梅田店も2021年4月に無事立ち上がりました。

3月に本社の引っ越し、4月にマネイロの大阪梅田店の出店と、それぞれを同時に進めており、瓜田を中心に関係者は本当に大変だったと思います。

実は2023年にも再び本社の移転と、大阪での2拠点目の出店を行ったのですが、2021年の経験が大きく生きたと思います。

参考情報:マネイロが2号店舗として大阪梅田店をオープン

グループの司令塔であるモニクルを設立

本社や営業拠点の展開以外には変化がありましたか。

はい、ここまでにお話ししていない2021年の変化でいえば、ナビゲータープラットフォームではLIMOを通じた読者との接点拡大、ワンマイルパートナーズではマネイロのユーザー体験の拡大と改善というように、それぞれの役割がよりフォーカスされた1年となりました。

ナビゲータープラットフォームのメディア運営は、泉田がより踏み込んで陣頭指揮をとる体制になりました。メディアをグロースさせるための作戦をこれまで以上のスピード感で実行に移す体制づくりをはじめました。ナビゲータープラットフォームがLIMOの編集者を積極的に採用するようになったのは2021年からです。

ワンマイルパートナーズについては、引き続き採用の積極化と営業体制の改善に取り組んでいます。特に営業面では、私と瓜田がより積極的に時間を使うことになりました。

また、エンジニアとデザイナーなどで構成されるクリエイティブチームは、CTOの塚田をはじめとするエンジニア4名、デザイナー、他に1名が加わり、合計6名のチームになりました。2020年末にマネイロをローンチできたのはエンジニアとデザイナーの活躍があったというのは言うまでもありません。

2021年にグループとして取り組まれたことについて教えてください。

はい、2021年にはグループ組織を大きく変えました。

当時は、ナビゲータープラットフォームがワンマイルパートナーズを子会社として抱えるという構造になっていました。

ナビゲータープラットフォームがメディア運営事業、ワンマイルパートナーズが金融サービス事業を展開し、それぞれ事業内容が異なっているため、持ち株会社を設立し、その傘下に子会社としてそれぞれの会社を設置し、管理する方がよいという判断をしました。

その持ち株会社が株式会社モニクルに当たるのでしょうか。

はい、その通りです。

現在、モニクルはナビゲータープラットフォームとワンマイルパートナーズを子会社として抱え、それらの管理を行っています。

また、モニクルには、現在、エンジニアが所属するプロダクト開発部、デザイナーが所属するデザイン部、管理部、新規事業開発部、CEO室(主にHR)、CTO室、コーポレート・ブランディング室(CB室)があります。グループ全体で関係するプロジェクトはモニクルのチームやリソースを活用してグループとして付加価値を出す構造となっています。

モニクルはMoney(マネー)とLife Cycle(ライフサイクル)を組み合わせた造語です。モニクルグループのサービスを通じて、みなさんのお金にまつわる意思決定がより自分らしい判断ができるお手伝いが出来たらいいなと思い、つけた社名です。

モニクルの設立は、共同株式移転というなかなか手間のかかる手続きを経ることになりましたが、投資銀行で組織再編の提案や支援業務を経験してきた私と管理のエキスパートの高橋のタッグで乗り切り、なんとか21年10月1日に設立することができました。

ここまでがモニクル設立ストーリーとなります。

これからのモニクルはどこへ進むのか

ここまで長い間お話をいただき、ありがとうございました。モニクルができるまでを2013年のナビゲータープラットフォーム設立、2018年のワンマイルパートナーズ設立、そして2021年のモニクル設立と順を追ってお話を聞かせていただきました。最後に全体を振り返ってみていかがでしょうか。

ここまで、4回に渡ってモニクルの設立までを振り返ってきました。途中、コロナ禍で4年間くらいは通常通りにはいかない日々が続いたので、本当に皆様のおかげでここまで来られたというのが本音です。

あらためて、お客様、従業員、取引のある事業会社様、株主様、その他ステークホルダーの皆様に心からお礼を申し上げたいです。ありがとうございました。

2021年のモニクル設立以降も、現在進行形でさまざまなストーリーが重ねられていますよね。これからの展望について、最後にお聞かせください。

実は、2023年はナビゲータープラットフォームが創業10周年、ワンマイルパートナーズが創業5周年にあたります。いずれも切りのよい数字で、めでたいなと思っています。

もっとも、モニクルグループはここからが正念場です。

現在の各社の事業の収益性を上げていくとともに、規模の拡大をしていかなければなりません。また、グループ間での連携をさらに進めるという計画もしています。

事業規模を大きくするということは、私たちの考え方に賛同いただける方、また仲間を増やすことに他なりません。

モニクルグループ各社の採用はこれまで以上にスピード感を持ってやる必要がありますし、収益性を高めるには、採用の精度を落とすこともできません。これまでと同じ取り組みではどこかで限界が来てしまいします。新しい工夫が必要です。

このように、グループで見るとやらなくてはならないことばかりですので、その中で優先順位付けを常に意識し、最善の意思決定をしていかなければならないと思っています。

これからも、粛々と進んでいきたいと思います。

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